名古屋大学減災連携研究センター特任教授(元鹿島建設)武村雅之著『関東大震災がつくった東京』中公選書(2023/5/10) を読了。
知的好奇心を刺激してくれる労作。
※朱書きは、私のメモ。
関東大震災の被害を招いた最大の原因
なぜ、他の市町村に比べて揺れが弱かった東京市で最大の火災が引き起こされたのか。
関東大震災の被害を招いた最大の原因
(前略)関東地震発生時の天候についてはどこでもほぼ同じ条件であり、日本海沿岸を台風崩れの低気圧が通過中で、南関東一円において風速10メートル近くの南風が吹いていた。大火災により発生する火災旋風についても、東京市だけでなく横浜市や小田原町、真鶴村、厚木町でもそれらしい風が吹いたとの報告かあり、天候だけで東京市の大火災を説明することはできない。
ではなぜ、他の市町村に比べて揺れが弱かった東京市で最大の火災が引き起こされたのか。
(中略)
以上、江戸・東京の変遷、さらにはその間に発生した大地震に対する被害状況などをみてきた。東京市が関東大震災で大火災に見舞われて、国家存亡の機を招くまでにいたった最大の原因が、道路や公園などの基盤整備を行わないままに、人口集中による木造密集地形成を放置、促進してしまった明治政府の都市政策の誤りにあったことは、誰の目にも明らかである。(P66-69/第2章 江戸・東京の歴史と地震災害)
※3区(荒川・墨田・足立)の夜間人口10万人あたりの想定死者数は120人に迫る(次図)。これら3区は火災よりも建物被害のほうが多いのが特徴。木蜜地域の耐震化が急がれる。
科学技術だけでは災害は防げない
高潮や津波から土地を護る大掛かりな仕掛けの維持管理費の問題が指摘されている。
科学技術だけでは災害は防げない
(前略)では、現在の江東地域の状況は、大きくなった仕掛けに応じて十分に自然の迫害に注意しているのだろうか。カミソリ堤防のような付け焼刃の堤防で、果たして住民の安全が確保できるのだろうか。そもそも、高潮が発生しなくとも首都直下地震の揺れで堤防や水門が壊れたり、地盤の液状化で沈下したりすれば、ただちに無尽蔵の海水が侵入し、干潮面より低い土地はたちまち海の底と化してしまう。
(中略)
大正6年の台風の高潮から100年あまりが経過したが、それを上まわる高潮は東京には襲来していない。また関東大震災から100年が経過するが、その間、東京に大きな被害を及ぼすような地震は起こっていない。この幸運はいつまで続くのだろうか。残念ながら今の自然科学は正確な答えを持ち合わせていないが、地球温暖化の進展や首都直下地震の可能性を考えると事態かますます深刻化していることは間違いなさそうである。さらにもう一つ気になることは、高潮や津波から土地を護る大掛かりな仕掛けの維持管理費の問題である。公共債でそれらを賄っていかなければならない事態になれば、単なるリスクの付けまわしといわざるをえない。対策は常に身の丈にあったものでなくてはならないが、仕掛けが大きすぎるとそこに収まらなくなってしまう。科学技術をあてにする前に、文明の進展に任せた開発優先や経済優先の姿勢を正し、正しく自然を怖れ、人を大切にするという防災文化を復活させることが必要である。今こそ、危険な場所には人を住まわせないと江戸幕府が設けた「波除碑」の意味を真剣に考える時期に来ているように思えてならない。
(P191-192/第5章 現在なぜ首都直下地震に怯えなければならないのか)
※あなたが検討しているマンション所在地の水害リスクを簡単に調べる方法については、「マン点流!裏ワザ(水害リスクを簡単に調べる方法) | スムログ」参照。
耐震性だけで危険度を決めてはいけない超高層ビル
関東大震災で相生橋が焼失し、再架橋される1926年まで3年2カ月にわたって月島は孤島と化したことはあまり知られていない。
耐震性だけで危険度を決めてはいけない超高層ビル
(前略)
住宅建設数の増加は景気を上向かせる効果があるとされるが、一方で行き過ぎた建設は、地震防災上、大きな問題をはらんでいる。安全のために地震の強い揺れに対してエレベータを停止させる必要があり、上層階の住民の移動手段は必ず失われる。過度な人口集中のために避難所が足りるわけもなく、多くの住民はマンションに留まって、階段を使っての過酷な生活を余儀なくされる。さらに大きな問題として、埋め立て地では液状化によって地盤の不同沈下などが起きる可能性が高く、それによって水道などのライフラインが途絶することも考えなければならない。また橋梁などの破損によって交通が遮断されると、たちまち域外からの救援も届きにくくなる。このためエレベータの閉じ込めで命を落とす人や火災など不測の事態への対応も困難になるかもしれない。
つまり地震時、タワーマンションが林立する埋め立て地は「高層難民」を抱えて孤立する恐れがある。上記埋め立て地のうち、月島は100年前の関東大震災時にすでに存在していた。当時、築地方面からの勝関橋はまだなく、深川方面から相生橋が架かるのみであった。震災で相生橋が焼失し、再架橋される大正15(1926)年まで3年2カ月にわたって月島は孤島と化した。月島に林立するタワーマンションの住民のほとんどはおそらくこのことを知らないであろう。(以下略)
(P224-225/第5章 現在なぜ首都直下地震に怯えなければならないのか)
※高層マンションの災害リスクについては、先の通常国会でも盛んに取り上げられていた。
本書の構成
5章構成。全245頁。
- 第1章 国家存亡の機だった関東大震災
- 第2章 江戸・東京の歴史と地震災害
- 第3章 都心を生まれ変わらせた帝都復興事業
- 第4章 首都にふさわしい街づくりの模索
- 第5章 現在なぜ首都直下地震に怯えなければならないのか
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