元電気工にして、自らもアスベスト暴露による胸膜炎を患っている作家、佐伯一麦によるルポルタージュ『石の肺 僕のアスベスト履歴書』岩波現代文庫(2020/10/16)を読了。
無知ほど怖いものはないことが本書を読めばよくわかる。過去に改修・撤去・解体工事に関わったことがある人は必読。中古マンションのリニューアルに関わる人も読んでおきたい。
※朱書きは、私のメモ。
僕のアスベスト履歴書
純文学を書いている作家が、なぜアスベスト禍についてのルポルタージュを書くことになったのか。
はじめに
(前略)ぼくは純文学を書いている作家です。そのぼくが、なぜアスベスト禍についてのルポルタージュを書くのか、けげんに思う方も多いにちがいありません。
実はぼくは、1984年にデビューをして作家となる以前から、飯の種として電気工をしており、作家になった後も10年間は二足の草鞋を履いていました。その電気工をしていたときに、アスベスト禍にあい、アスベスト曝露によっておこる胸膜炎(当時は肋膜炎と言いました)をおこし、筆一本になることを余儀なくされました。
ぼくは作家になって23年を迎えますが、その前半は、アスベストの現場と重なり、後の半分は、アスベストの後遺症を案じながらの作家活動を送っています。台風や寒波に見舞われたときなど、気圧や気温が急に変動すると、決まって喘息の発作が起き、入院や数日通院して薬の点滴を受けなくてはいけませんし、いつか中皮腫になるのではという不安は一生つきまといます。若い頃に親しんだ野球や水泳を思い切り楽しむこともできない現状です。そういう理由から、自分の作家生活はアスベストと共にあった、といっても過言ではないと思っています。(以下略)(P1-2/はじめに)
※佐伯 一麦(さえき かずみ、1959年7月21日 - )は日本の小説家。本名は佐伯 亨。私小説の書き手として知られる。筆名の「一麦」は、敬愛する画家ゴッホが麦畑を好んで描いたことにちなむ(佐伯一麦 - Wikipedia)。
ヤバイ現場
バブル時代、K電設に工事を請け負わせようとしていた現場に、著者が親方(社長)と出向いたときの一コマ。
アスベストは危険だ!
緊急の仕事が入っていない日を見計らって、さっそく現場の下見にK電設のF専務にも立ち会ってもらったときのことです。
「何だよ、ここはヤバイ現場じゃないか」そのとき、アルミの脚立に上って、点検孔から天井裏を懐中電灯で照らしていたK電設会社のF専務が突然声を荒らげました。
そして、下にいる親方と私の方を見下ろして、
「社長、ここの天井裏、びっしり吹き付けアスベストだよ、アスベスト。いま問題になってるんだよ。それも、ずいぶん剥がれてしまってるじゃないの。2年前の改修工事のときには、この天井裏にもぐって作業したんだよね。ちょっとまずかったんじゃないの。こいつはアスベストの除去工事をちゃんとしてもらってからじゃないと、うちではちょっと請け負いかねるかなあ」
と首を傾げ、
「そういえば佐伯さんも、咳してるみたいだから、気をつけた方がいいよ。アスベスト吸うと肺をやられることがあるっていうから」
とぼくにも忠告しました。(以下略)(P72-73/第3章 ヤバイ現場)
※中皮腫による死亡数は、年々増加し、ピークの17年1,555人は95年の3.1倍になった。アスベスト輸入量のピーク74年から43年の潜伏期間を経て、17年に中皮腫による死亡数もピークを記録したように見えていたのだが、まだ増えるのか……。
「アスベスト(石綿)|中皮腫死亡数の推移、死亡率の地域分布などを可視化」より
熾烈な価格競争をした挙げ句に、工事の質が落ちてしまっている
まともなアスベスト対策工事をしようとすると価格競争に勝てないという現実。
談合は是か非か
(前略)それが一変したのが日米通商摩擦のときです。日本は独禁法の運用が手ぬるい、骨抜きになっているじゃないかと、急に米国政府がそれを問題視するようになりました。そのきっかけになったのは関西国際空港プロジェクトです。米国の大手建設会社ベクテル社がこの案件を受注したかったんですね。当時の国務長官ジョージ・シュルツはベクテル社の元社長だった人です。そういう背景で日本の公共事業の入札制度や独禁法行政に米国がいちゃもんをつけてきたんです。
以来、米国は一貫して独禁法の罰則強化、公取委の捜査権限強化を執拗なまでに日本に要求してきました。それがついに成立したのが2005年だったということなんです。(中略)完全自由競争が、零細中小の首を絞める結果をもたらしていることは、親方の話からも窺えました。また、アスベスト除去工事にたずさわるNさんも、新規参入業者が雨後の笥のごとく乱立して、熾烈な価格競争をした挙げ句に、工事の質が落ちてしまっていることを嘆いていたのが思い返されます。
そして結局は、安く請け負った分、末端の職人が、危険性を無視して、充分な安全対策が取られないまま、安く働かされることになるのです。アスベスト被害の歴史をこの国は何度繰りかえせばすむのでしょうか。(以下略)(P266-267/終 章 親方との一夜)
※アスベスト対策済み(対策予定)の建築物が増えてきて、21年は94.9%に達している(次図)。ただ、調査対象建物は概ね1,000m2以上なので、小規模な建物は含まれていないことに留意する必要がある。
「民間建築物「吹付けアスベスト」飛散防止対策状況の推移」より
本書の構成
11章構成。全291頁。
- 序 章 国の指導で吹き付けた
- 第1章 電気工になった日
- 第2章 二足の草鞋を履く
- 第3章 ヤバイ現場
- 第4章 むなしき除去工事
- 第5章 アスベストとはなにか
- 第6章 時限爆弾はいつか目覚める
- 第7章 何をいまさら
- 第8章 アスベスト禍の原点を訪ねて
- 第9章 どこにでもある不滅の物質
- 終 章 親方との一夜
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