不動産ブログ「マンション・チラシの定点観測」

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浴槽から立ち上がれない!『老いのゆくえ』(中公新書)

今は亡き両親の終の棲家(戸建て)を設計したのは、まだ私が30代半ばだった。バリアフリーを意識して、可能な限り設計に取り入れた。遠い田舎で離れて暮らす両親はとても喜んでくれて、1級建築士になって初めて両親に恩返しできたような気がした。

ただ、当時は老人のリアルな生活なんて、ほとんど分かっていなかった。いまでも分かっていないかもしれない。だから、自分よりかなり先を生きている人の著作は、時々読むようにしている。年を取るとはどういうことなのか――。

残念ながら高齢者自身が自分の体験を描いた著作物はそんなに多くはないように思う。年を取ると粘り強く文章を書き続けることが難しいからなのかもしれない。だから、今回紹介する『老いのゆくえ』(中公新書)は、高齢者のリアルな生活実態を知り得る貴重な1冊なのだ。

著者の黒井千次氏は現在87歳。東大経済を卒業し富士重工に入社。1968年に『聖産業週間』で芥川賞候補となったあと、1970年に富士重工を退社し、作家活動に専念。谷崎潤一郎賞(84年)、読売文学賞(94年)、毎日芸術賞(01年)、野間文芸賞(06年)など、多数の賞を受賞している。

本書は読売新聞夕刊に掲載された「時のかくれん坊」(のち、「日をめくる音」に改題)が加筆修正され書籍化されたもの。14年9月から19年4月の記事を収録したというから、現在87歳の著者が82歳から86歳のときの世界が描かれているということになる。

前置きが長くなった。

「住」について、中年世代には想像もできないリアルな世界をピックアップしておいた。


もくじ

風呂場では終始気を配り続ける

風呂場では終始気を配り続ける。家の中の障害や危険は、玄関や風呂場に限らないという。

家の外の危険、家の中の危険

(前略)風呂場で滑ったり、転んだりして怪我をしたという人の話を聞かされる。そこでは衣服を脱いだ状態で事故に遭うので、剥き出しの身体の損傷は一層大きなものとなる恐れかある。二度、三度と重ねて同じような事故の話に接するとさすがに怖くなり、浴室の中で動く際には必ず何かに掴ってから身体を移動させる。それでも手か滑ったりしたら危険なので、風呂場では終始気を配り続けることになる
 家の中の障害や危険は、玄関や風呂場に限らない。

(中略)
廊下の角の柱でさえ、つい気が急いたり、ぼんやりしながら曲ろうとすると、身体をぶつけてしまうことがある。暗い中に半開きのドアがあれば、気づかずにその縁に顔が衝突して怪我する恐れがある。いや、顔を洗ってタオルで拭う折に、ふとした弾みにタオルか指が眼球をこすり、角膜を傷つけてしまう失敗もあった。(以下略)

(P34-35/第1章 新旧の不自由を抱えて)

※高齢者の浴槽問題は奥が深い……。

コンセントが課す試練

壁面の最下部に小さな口を開くコンセントは、実は年齢の鏡であるのかもしれないという著者の気づき。

コンセントが課す試練

(前略)その低い場所にあるコンセントに対して苦情をいいたくなったのは、80代にかかった頃からではあるまいか。以前のように無意識に気楽にしゃがむことが難しくなった。いや、しゃがむこと自体に問題があるというより、その次に立ち上ることがなかなか困難な仕事となってしまったためである

(中略)
 コンセントの低い位置についての不満が、いつか膝の痛みや立ち上ろうとする際のその他の苦痛を呼び寄せたかのようでもある。
 としたら、あの壁面の最下部に小さな口を開くコンセントは、実は年齢の鏡であるのかもしれない、という気もしてくる。ここまで屈めないならば、ここまで手が届かないならば、あなたはもう十分に年寄りよ、と床面の少し上からコンセントが笑いながら呼びかけているように思われる。(以下略)

(P66-67/第1章 新旧の不自由を抱えて)

※コンセントの取り付け高さは特に法律で決められているわけではないが、一般的には床上25cm程度の高さに取り付けられる場合が多い。ただ、高齢者や障碍者などすべての人たちが安全に使えるようユニバーサルデザインとしては40~45cm程度がおすすめ。

コンセントの取付高さ
スイッチ・コンセントの設置高さの目安|Panasonic


ちなみに、UR都市再生機構の工事関係基準等として公開されている「電気設備標準詳細設計図集 第13版(令和3年度)」では、コンセントの位置は床上40cmと規定されている(PDFの91枚目)。

浴槽から日常への帰還

浴槽の中で立ち上がることのできない事態に戸惑う著者の様子が描写されている。

浴槽から日常への帰還

(前略)はじめは、なにか冗談ごとにぶつかったかのようだった。浴槽の中に立つことが出来ない事態が発生していることに気がついた。こんな筈はない、と最初は本人もその事態を信じ難かった。

 しかし浴室の壁にそって置かれた浴槽のまわりはどこにも手をかけられるような凸凹などなく、ただつるりとした白い壁面があるだけだ

 浴槽の低い縁を掴んでみたり、底を掌で撫でてみたりするうちに、何が起ったかの輪郭がようやく掴めるに至った。湯につかろうとした自分が、立つ時のことを考えもせずにしやがんでしまっていたことに初めて気がついた。(中略)
 浴槽の底が滑るために力がはいらぬのだ、と考えて湯を完全に抜こうとしたり、夕オルを底に敷いてみたり、と思いつく限りのチエを絞っていろいろ試みるのだが、どれもうまくいかない。(以下略)

(P111-112/第2章 もう運転しないのか……)

※浴室には手すりは必須。エプロン(床から浴槽の上部までの高さ)はできるだけ低く抑えたい。あと、毎日のスクワット運動の必要性は、中高年にもっと認知されてもいいと思う。

本書の構成

全4章、235頁。

第1章 新旧の不自由を抱えて
第2章 もう運転しないのか……
第3章 降りることへの恐れ
第4章 老いることは知ること

老いのゆくえ

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2023年6月1日、このブログ開設から19周年を迎えました (^_^)/
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