不動産ブログ「マンション・チラシの定点観測」

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三浦展『昭和の東京郊外 住宅開発秘史』

消費社会研究家・三浦展氏の新著『昭和の東京郊外 住宅開発秘史』(光文社新書)を読了。

なじみの古書店に出品されていた大量の郊外住宅の売出しチラシ約140枚を購入したことから物語が始まる。昭和30年代のチラシ情報を頼りに各地を訪ね歩いた労作。
本書はLIFULLのホームズプレスに連載された記事を大幅に加筆修正されたもの(第2部だけは書下ろし)。

朱書きは、私のメモ。


もくじ

昭和の東京郊外 住宅開発秘史

これは釣り広告か?

現在ならば、まったくもって許されない広告が出回っていた世界が描かれている。

これは釣り広告か?

購入したチラシを一枚一枚見ていると、チラシをまいた不動産業者はかなり限られており、日本不動産、東南商事などの数社のものが非常に多い。住宅地と言っても戸建て分譲地ではなく、土地そのものを売るためのチラシだ。


住宅地の名前は松濤台、五島遊園台、静風台、茗渓台、松風苑、緑風園、永楽台、長楽園などと立派だが、聞き覚えがまったくないものばかりである。「松濤」や「五島」の名は、渋谷の高級住宅地や束急の五島家のイメージを使っているのか。しかし、これらの名前をネットでいくら検索しても出てこない。出てきたと思うと老人ホームの名前とか、墓地の名前だったりする。


また、チラシには「東白楽駅前現地案内所」とか「反町駅前現地案内所」とか、「坪3000円」とか「商店街至近」といった文字が並んでいる。しかし、肝心の土地の所番地が書いてない。「○○駅○分」と書かれたものもあるが、数は少ない。徒歩○分とも書いてないもののほうが多い。だんだん怪しくなってきた。どうもこれはかなり「釣り」っぽい。


「○○駅前」「○○駅○分」「現地案内所」という文字を見たら、その駅から○分のところで土地が売られていると思うが、冷静に考えるとそうではない。まず○○駅前の現地案内所に集合し、そこから「○○駅○分」の土地までクルマに乗せて連れて行くのだろうと推測された。(以下略)

(P14-15/序章 詐欺まがい商法横行す)

※不動産業界が「不動産の表示に関する公正競争規約」を設定したのは昭和38年6月。それから59年。22年9月1日に施行される表示規約では、最も遠い住戸(区画)の所要時間等も表示する(規則第9条第8号)というように、細部にわたって規制が強化されている。

詳しくは、「不動産の表示公正競争規約一部改正|強化・緩和規定、改正されなかった内容 」参照。

チラシ広告に、客が集まりすぎて社員は昼飯を食べる時間もなかった時代

「郊外土地」が出したチラシ広告に、客が集まりすぎて社員は昼飯を食べる時間もなかったという、今では想像もできない時代。

業界初のチラシとテレビCM

住宅地売り出しの宣伝は、新聞掲載広告に頼るのが戦前からの常識だったが、郊外土地は戦後すぐに業界で初めてチラシ広告を始めた。チラシ広告を始めた頃は客の反応が大きく、客が集まりすぎて、駅にぞろぞろ並ぶので、社員は昼飯を食べる時間もなかったという。


チラシ広告が当たり前になり効果が落ちてくると、郊外上地はこれまた業界初となるテレビCMを開始した。民放のテレビ放送開始は昭和28年(1953年)8月28日であるが(日本テレビ)、この時すでに郊外土地のCMが流れていた。クイズ番組や野球放送、ラジオドラマのスポンサーになったこともある。またまた宣伝が効きすぎて、客がどっと集まったそうだ。写真を見ると当時のお笑い芸人デン助を使い、小金井の富士見台高級住宅地の宣伝をしている。(以下略)

(P178/第10章 郊外土地)

※「郊外土地」は大正6年(1917年)に武蔵小金井の旧家の三男・小川泰顕によって国分寺で創業された。「郊外土地」は現在、郊外土地建物株式会社(代表者 小川泰正)として、国分寺駅前のタワマン「シティタワー国分寺 ザ・ツイン イースト(35階建て、総戸数284戸)」の1階にある。

住宅営団とは

住宅営団は、同潤会の経営する鉄筋コンクリート造アパートを含む住宅、人と組織、蓄積した知識を引き継ぎ、5カ年で30万戸の労働者向け住宅を理想的住宅団地として供給するという目的でスタートした。

住宅営団とは何か

(前略)住宅営団は、同潤会の経営する鉄筋コンクリート造アパートを含む住宅、人と組織、蓄積した知識を引き継ぎ、5カ年で30万戸の労働者向け住宅を理想的住宅団地として供給するという目的でスタートした。


30万戸とは当時の日本全体の5年間分の住宅建設戸数の2割にも相当していた。実際には実質3年ほどの間に16万5000戸の住宅を供給し、敗戦を迎えた。


住宅営団が大量の住宅を短期間に安くつくるには「基準」をつくる必要があった。そこで重要な役割を果たしたのが先述した西山卯三であった。西山は「型計画」という考え方に基づき、大量供給という課題に応えるためにあらかじめ標準となる多様な「型」を設計し、建設段階でその「型」から選択して家を建てるという方法をとった。ただし戦時下では資材不足のためにその「型計画」はほとんど実践されなかった。しかし集合住宅計画の理論的支柱として戦後の団地の大量供給時代に活かされることになったという(『日本における集合住宅の普及過程』)。

(P197-201/第12章 住宅営団とは何か)

※住宅営団は、戦争の激化に対応して軍需工場で働く労働者のために住宅を大量に供給するために昭和16年に作られた国策会社。GHQによって解散させられたため、同営団の活動期間は5年と短い。

本書の構成

4部構成。全357頁。

  • 序章 詐欺まがい商法横行す
  • 第1部 昭和の住宅チラシの町に行ってみた
    • 第1章 上大岡
    • 第2章 旭区
    • 第3章 瀬谷区
    • 第4章 保土ケ谷区
    • 第5章 日吉・菊名・大倉山
    • 第6章 川崎北部
    • 第7章 生田区多摩美・麻生区岡上
    • 第8章 大宮・浦和
  • 第2部 昭和20〜30年代4大不動産
    • 第9章 大島土地
    • 第10章 郊外土地
    • 第11章 神田土地建物・日本不動産
  • 第3部 幻の戦時国策組織・住宅営団の町
    • 第12章 住宅営団とは何か
    • 第13章 蕨・三和町
    • 第14章 相模原
    • 第15章 川崎・古市場
    • 第16章 千葉・船橋・市川
    • 第17章 大宮・日進
  • 第4部 まだまだあった田園都市
    • 第18章 柏
    • 第19章 大和
    • 第20章 川崎

昭和の東京郊外 住宅開発秘史

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2022年6月1日、このブログ開設から18周年を迎えました (^_^)/
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