「お盆と格差って何?」って思われた方はいないだろうか。
「格差」ではなく、「段差」である。
国交省は8月10日、「脱・電柱社会 ~日本の空を取り戻そう~」(中間とりまとめ)を発表した。同中間取りまとめには、無電柱化を推進するための基本的な方向性が示されている。
無電柱化の推進もいいが、年老いてやがて誰もが直面する「段差」を解消することのほうにも予算を配分してほしいものだ。
段差で思うこと……
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筆者が1級建築士として、初めて親孝行できたと思ったのは30代の頃。親父が現役を引退し、隠居生活を送るために田舎に家を建てるための設計・施工に関与したときだ。
田舎だから土地は比較的安い。広い土地の南側に野菜や果物を育てられるだけの十分な広さを確保したうえで、年寄りに相応しい戸建ての設計に力を注いだ。もちろん階段や浴室、トイレには手すりを付けた。フロアーの移動には段差が生じないよう配慮した(つもりだった)。工事監理においても、東京から電話とFAXを駆使して、要所要所チェックした。
2階建て住居が完成し何年か経ち、まず70代後半になったお袋の足が弱ってきた。やがて、玄関や縁側の上り下りに苦労し始めた。そこで帰省したときに、補助の踏み台を設置した。
ある年の夏に帰省すると、外壁や内壁、所かまわずステンレス製の手すりのパイプが取り付けられていた。親父の日曜大工だった。お袋は手すりにつかまりながら移動していた。
翌年の夏に帰省すると、お袋は親父が押す車いすで室内を移動していた。すでに手すりの役目は終わっていた。そのころになると、両親は2階の部屋に上がることはなかった。
さらに年月が経ち、お盆の時期に帰省すると、すでに独り身となっていた親父はいつものように筆者をドライブに連れて行ってくれた。
ある神社の駐車場に車を止め、親父は「俺はよく来ているところだから、お前たちだけで行ってこい」と言う。
筆者は「まあ、そう言わずに一緒に行こう」と誘ったが、固辞された。
その理由は神社に向かう途中ですぐに分かった。
神社に行くには、途中に10段を超える階段を上がらなければならないからだった。
日ごろもっぱら車で移動している親父の足はかなり弱っていたのである。
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毎年お盆の時期になると、「俺はよく来ているところだから、お前たちだけで行ってこい」と言ったときの親父の寂しそうな表情を思い出す。
チョットした段差であっても、やがて誰もが難儀する年齢になる。
段差がない、年寄りや弱者にとって優しい社会の実現を願う。